持病があると、自分は人生においてできることが少なくなると考えてしまいがちです。実際、入院をしたり、寝込んでいたり、学校や仕事に行けない時もあるでしょう。しかし、よく考え直してみると、できることというのはとても多いものです。生きている、息を…
不整脈の経験の中で感じてきたことですが、二十代の頃はよく、仕事帰りに服屋さんへ寄っていました。買い物へ行くまでは少々しんどくても、買い物中は症状が治まり、店員さんと話をしながら楽しく買い物をしていたものです。 楽しいことをしていると体が楽に…
ストレスは仕事以外でも発生します。そして、最初はストレスに感じていなかったことでも、だんだんストレスに変わるということも多いものです。私の場合、仕事以外のストレスは何があったか考えると、転校、学校生活、一人暮らし、恋愛、婚活、薬の服用、通…
体の不調にはストレスが大きく関わっています。私の場合は、大学を卒業し、就職してから三か月後に潰瘍性大腸炎と診断されたので、仕事が関係しているのではという疑問は長い間気にかかっていたことでした。 就職氷河期、大学卒業間近にやっと見つけた職で、…
潰瘍性大腸炎の症状の一つに下血があります。 便に少し血が混じっている状態から、血だけがジャーっと出てしまうという症状まで経験しましたが、思ったよりも少なかったときは少し安心し、思ったよりも多かったときはショックを受け、排便後、自分の便にどの…
関節炎の症状があったときに気づいたことがあります。 症状があった八か月間のうち痛みのピークの時期は、ただひたすら耐えるという感じでしたが、ピークを超えたあたりから少しでも動かせる方へ体を伸ばすという動作を繰り返しているうちに、少しずつ体がほ…
二〇一八年に、関節炎・低音障害型難聴・皮膚炎の症状がありましたが、関節炎と皮膚炎は薬をやめたことによる体の排毒、低音障害型難聴に関しては排毒というよりはストレスが関係していたのではないかと考えています。 排毒は、好転反応という言い方もよくし…
頑張っているつもりなのに、また悪くなってしまったということがあります。 しかし、それは悪くなったと考えないでください。登山で山頂を目指していても、いつも上りというわけではなく、途中平坦な道や下りもあります。逆に、上りばかりだと、疲れてへとへ…
風邪をひいたり、少し怪我をしただけでも、昨日までは元気だったのに、と誰しも落ち込むことがあります。重い病気であればなおさらつらくなります。 しかし、体の調子というのは、雲が刻々と形を変えるように変化するもので、どんな病気であれピークがありま…
私は輸血をするときや皮膚炎の症状がどうしても治まらないときなど、西洋医学の力を借りて、そのおかげで助かったと思っています。 しかし、原因不明扱いにされる病気があまりにも多いと感じてきました。皆さんの中にも感じている人がいるはずです。通院して…
昨日、テレビで「むちゃ食い症」のことが取り上げられていました。 摂食障害の一種のようですが、ストレスがたまるとお菓子を過食してしまうとか、十kg太ったとか、罹患者が話されていることが自分の大学生時代ととても似ていたので驚きました。 私は高校…
身体の不調を繰り返す中でいつも不思議に思っていたのは、風邪など数日で治るような病気にはあまりならないのに、難病や原因不明の病気にばかりなるなあということでした。 振り返って思うことは、自分で病気を引き寄せていたかもしれないということです。 …
「一生飲み続けてください」と言われた薬をなぜ途中でやめたくなったのかは、いくつか理由があると思います。 ひとつには東洋医学的な話を聞く機会が増え、食養生など西洋医学以外の方法で治る可能性があると気付いたことです。 そして、なんとなくこのまま…
病気になったら西洋医学や医者を頼るものだと長い間思っていたので、処方される薬を何の疑いもなく飲んでいました。食後に薬を飲むことが習慣化されていたので、飲み込むのも早く、薬を飲むのが得意といってもいいくらいです。 薬の種類や数は変動がありまし…
潰瘍性大腸炎を発症したとき、原因不明だし、自分では何もしようがないと思っていたので、病院の指示に従い、病を受け入れているつもりでいました。しかし、自分の病気の話というのは、人に話すことではないという考えがあり、行政から潰瘍性大腸炎の勉強会…
二〇二三年四月から「難病発症から通院・服用をやめるまでの20年」と題してさまざまな身体の不調の経験を時系列で投稿していました。一旦その話は終了しましたが、再びブログを投稿していきたいと思います。次回からは二十年を振り返りつつ、感じたことや…
二〇二三年四月六日より「難病発症から通院・服用をやめるまでの二十年」というタイトルで始めたブログ。一区切りとして終了となります。 今まで二十回投稿してきましたが、二十年という長い歳月のわりにあっさりとした話になったかもしれません。その理由に…
検査結果はあまりよくない状態で、やはり薬を飲んだ方がいいと言われましたが、どんな検査結果であれ、もう通院はやめる、病院へ来たくないという決意があったので、担当医にきちんと自分の気持ちを伝え、病院をやめることができました。 このときは本当にす…
潰瘍性大腸炎を診てもらっている担当医に、薬を再びやめたこと、飲みたくないことを正直に伝えたところ、「では処方はなしにしますね」と言ってくれました。さらに私は「通院をやめたいんです」と伝えましたが、「内視鏡検査の予約をすでに入れているのでそ…
関節炎が改善した頃、それと入れ替わるように、右の親指と人差し指の間あたりがものすごくかゆくなり、掻いているうちに化膿してしまいました。これも排毒の症状だろうかと思っていました。 なぜかというと、手の親指は肺、人差し指は大腸の経絡が通っている…
しかし、関節炎になってよかったと思いました。 薬で痛みを止めているときやなんとか歩ける状態になったときに、昼間外を歩いていると、駅の階段を手すりを持ちながらゆっくり上がる人、杖を使って歩いている若い人など今までそんなに目に留まらなかった人た…
知人に紹介してもらった整形外科で数回リハビリを行いましたが、少しリハビリしただけで熱が出て、かえって症状が悪化するので、内臓が原因かもしれないと言われ、入院していた病院のリウマチ科に行くことになりました。 血液検査の結果や症状から判断してリ…
潰瘍性大腸炎は良くなったものの、二〇一八年ヨガの無料体験に行き、その後何回か通っていたところ、肋骨を痛めてしまいました。ヨガ教室で違和感を感じた翌日に、突然内臓がぐらっと動くようなものすごい痛みに襲われましたが、しばらく休むと治まったので…
いろんな方のアドバイスを聞いたりしていましたが、二〇一八年二月、友達から教えてもらった医院に行くことにしました。 そして、そこで衝撃的な言葉を言われました。 「潰瘍性大腸炎ではなく、ただの腸炎ですよ」 「以前は潰瘍性大腸炎だったかもしれないけ…
退院後は、入院していた病院へ三か月に一回通院をし、半年に一回の内視鏡検査を受け、順調に回復しました。薬は処方通りに飲みながら食養生を続けました。 経過がよくなってきたので、二〇一七年二月頃、担当医に薬を減らしてほしいとお願いをしたところ、断…
退院後は、実家でしばらく療養することにしました。実家では、母に食事を作ってもらい、洗濯もしてもらい、自分は何もすることができなくて、暇を持て余しているような感じで居心地がいいわけではありませんでした。二~三週間くらいで自宅マンションに戻り…
入院してから十数日後、やっとシャワーを浴びる許可が出たり、退院へ向けての準備として週末に自宅へ戻るように指導されました。 消化器内科なので、同じ部屋の人たちはたいてい手術をして、経過がよければすぐ退院していくので、皆私より先に退院していき、…
潰瘍性大腸炎の治療は数種類ありますが、私の場合普段から低血圧で、入院しているときはさらに低くなり、服薬以外の治療は危険が伴うとのことで却下されました。 体の中で悪くなったのは潰瘍性大腸炎だけではなく、検査の結果、体中に血栓ができていることが…
そして二〇一五年五月一八日、そのまま緊急入院になりました。輸血、点滴、心電図、体にいろんな管がつながれ、二パック輸血しました。 翌日さらに一パック輸血し、CTと内視鏡検査をしました。声を出す力もなく、家族が見舞いに来ても首を振って応答しまし…
ある日、玄関で靴を履こうとしてかがんだら、そのまま前へ倒れそうになり、自力での生活が限界に達した思い、仕事を休み実家で療養することにしました。 そして、このまま放っておけば死ぬと予感したので、輸血することを決めました。このころ、紹介状を書い…